久しぶりにホームページを開きました。
申し訳ございません。
4月14日の夜、震度5弱の地震が起きてからの事を忘れないように書いておこうと思います。
夜21時半近く。夕食も終わり、ゆっくりテレビを観ながら過ごしている時でした。
人生で1番大きな地震に驚き、急いで外へ飛び出しました。
車の中に避難していましたが、地震の恐怖で店の中に戻る事が出来ず、布団だけ取りに戻り、車の中で夜が明けるのを待ちました。
外が明かるくなると、不思議ともう大丈夫だろうと思い部屋に戻ってベッドに入りました。
15日。今日はお店は休もう!
階下に降りると、外はお天気で父と母は庭の花の植え替えをしていました。
私もガラス棚の中で倒れた人形を片付けようと並べ直してはみましたが、余震でまた倒れてしまい諦めました。
明日も休んで片付けの日にしよう!と決めて久々の連休を喜びました。
次の日曜日には大牟田で友達の結婚式があり、その準備や買い物に出掛けました。スーパーに寄ると、普段より沢山の人が買い物をしていて、パンは売り切れでインスタント麺などが沢山売れているようでした。私も同じ様に非常食を少し買って帰りました。
車中泊の疲れもあり夕方まで少し寝て
目が覚めたら地震は終わった事のように忘れてしまいました。ついさっきまではいつでも逃げられる格好でいなきゃと着替えもせずに寝ていたのに、
普段通りに食事を済ませ、普段通りにパジャマに着替えて眠りました。
深夜やっと眠りについた頃、揺れで目が覚めました。
また余震か…。おさまるかな…?
そう思っているうちにどんどん揺れが大きくなり立ち上がれない程の揺れが襲ってきました。
地震警報と共にタンスや棚が次から次に倒れて来て、横にある猫の寝床にも棚が降ってきました。瞬間に潰された!と思い手探りで猫を探しましたがそこにはおらず、名前を呼んでも真っ暗で何も見えませんでした。
電気のスイッチを押してもダメで枕元にあるはずの携帯を探しましたが、焦りから見つけられず、まずは下に降りなければと思いました。隣から父の声がしていましたが、足元には何がなんだかわからないくらい物が倒れていて先に進めませんでした。
猫の為に開けていた筈のドアも閉まり、やっとの事でドアの外に出ると、1階のドアをドンドンと叩く音が響いていました。
母に『上着持って外に出るよ!』と言われ、手を伸ばした所にあったストールを手に1階に向かいましたが階段にも物が落ちていて降りるにも苦労しました。裸足で走り入り口の鍵を開けると兄が『外!外!』と叫んでいました。
兄が中に入ってライトで靴を照らしてくれてやっとの事で入り口のドアを開ける事が出来、同時に猫が外に飛び出しました。
外に出ると真っ暗で、何が起きたのかわからないくらいシーンとしているように感じました。
猫を追いながら何かにつまづいて気付きました。地面が割れている事に。
こればヤバい!と冷静になり、
駐車場の真ん中に人影を見つけ、近付くと義姉と姪がしゃがみ込んでいるのがわかりました。父と母も来ましたが、薄着で靴も履いていない状態でした。
持っていたストールを母に着せて、皆で身を寄せました。
兄は近所の人を呼びに走り、少しずつ駐車場に人が集まって来ました。
車で逃げようと上の道から走って来た人達も道路が割れて進めず、車を停めるしかありませんでした。
集まった車に乗り込み寒さを凌ぎ、ニュースを観ると震度6強とありました。
今回も震源地に近い事は地面を見れば一目瞭然でした。
強い余震が何度もあり、車のライトを頼りに不安な夜を過ごしました。
しばらくすると、下に下る車が多くなり
近くで連絡が取れない人などから探して欲しいと言われ、兄はまた出て行きました。
外はまだ肌寒く、トイレに行こうにも恐ろしくて1人では動けません。
女性だけで集まって林の中に用を足しに行きました。
携帯が無いので誰にも連絡が取れず不安でいっぱいでしたが、携帯を持っている人も電波が悪くなっているようでした。とにかく夜が明けるまでは動けない。
どこに避難するのかもわからない中で、家族も皆無事で、気の知れた近所の皆で一緒に居れた事が1番心強かったです。
夜が明けても余震は続いていましたが、ずっと駐車場にいるわけにはいかず、少しずつ動き始めました。
必要な物が何かも分からず携帯だけを取りに入り、なんとか探し出して避難所へ向かいました。
避難所にはすでに車がいっぱいでしたが体育館の中はまだ人はまばらで、一角に毛布を敷いて、近所の皆さんと集まって座りました。
知った顔にも会えて幾分か安心出来ましたが、まだ余震への恐怖心が拭えず、数時間もせずに私たち家族は自宅の駐車場へ戻りました。
これからどうするか…考えている時に、兄の友人である方が、遠く離れた所からわざわざ様子を見に来て下さいました。
そして蘇陽のキャンプ場をお借り出来る事になり、一家で身を寄せる事にしました。食料になりそうな物をかき集めて南阿蘇をあとにしました。
その後、近所の人達もキャンプ場に呼ぶ事が出来て、一週間ほどキャンプ場での避難生活をしました。その間も兄は消防団で南阿蘇で生活し、私たちも片付けにちょこちょこ戻りながら避難生活を終えて、
23日電気の点いた我が家へ帰って参りました!
水道はまだですが、運良く湧き水は豊富にある素晴らしい南阿蘇です。
贅沢に使わせて頂いてます!
ホラホーもティッペルも、営業再開まで時間を要すると思いますが、なるべく早く再開出来るように頑張ります!
沢山の方々に助けられ、励まされ、ご心配をお掛けしましたが、皆無事で居られた事に感謝しかありません。
これから元通りのお店に戻れるように
応援よろしくお願い致します。